会社沿革

会社沿革

創業から現在までの弓田工務店の歩みを掲載

1965年(昭和40年)
弓田工務店創業

現会長の弓田勝俊が中学卒業後、会津若松市の小田建設さんへ弟子入り、夜間の高校に通いながら住み込みで5年間大工修行を行ったのち、 1964年(昭和39年)東京オリンピックの年に同期と共に上京。
内装工事の仕事でさらに一年間の修行を経て、1965年(昭和40年)東京都中野区の地で独立創業しました。

集合写真
1970年(昭和45年)
埼玉県毛呂山町へ移転

結婚したこと、そして住み込みの弟子が増えたことから、少し大きめの建物を求め、中野区から府中に事務所を移転。
確かな技術を持つ若い職人集団として着実に仕事を増やしていきました。

建築現場

その後、1969年(昭和44年)、現会長が埼玉県毛呂山町にある妻:乃里子の実家をたずね武州長瀬駅に降り立った際、 眼前に建前が執り行われた木造の家が20件ほど建ち並んでいた姿に可能性を感じたこと、 そして、1970年(昭和45年)の8月に建築基準法の改正があり、 その年を逃すと妻の実家の土地には建築が難しくなることが大きなきっかけとなり、毛呂山への移転を決断。
年の瀬がせまる1970年(昭和45年)12月29日、妻の実家の土地に初めて事務所を新築し、毛呂山町へ移転しました。

1975年(昭和50年)
現会長弓田勝俊が発起人となり、福島県人会発足

毛呂山町の福島県にゆかりのある人たちの交流を深める場として、 1975年(昭和50年)に現会長が発起人となり、福島県人会発足。
商工会議所の駐車場や学校の校庭、岩井神社などに桜の苗木を植える活動や、その桜の木へ年2回消毒を行うなどしました。
ピーク時の1980年(昭和55年)には、200人規模の会員を抱える会となりました。

1985年(昭和60年)
法人格を取得し、株式会社弓田工務店へと法人成り

毛呂山移転当初は地元に大きな会社もなく、仕事を得るのに大変苦労をしました。
しかしながら、地元の方々と積極的に交流し、更なる交流を深めるためにロータリークラブにも入会、毛呂山のための様々な活動に従事することにより、 少しずつ信用と信頼を積み重ね、仕事をいただけるようになりました。

越生 毛呂ロータリークラブ創立30執念記念の様子(1999年)

そこで、1985年(昭和60年)に、更なる発展と地元への貢献を目指し、株式会社弓田工務店へと法人化。
これを機に、職人さんを自社の従業員として受け入れ、 手間請けではなく、給料制での雇用を始めました。
また、現在使用している会社のロゴマークも、法人化を機に会長自らが発案・デザインしました。

1987年(昭和62年)
土木事業開始、公共工事請負開始

従業員からの「土木事業もやりたい」という声に押され、1987年(昭和62年)に土木事業を開始しました。
併せて、公共工事についても本格的に請負を開始しました。

1989年(平成元年)
坂戸西高等学校の文化祭アーチ制作支援開始

縁あってこの年より、坂戸西高等学校の文化祭アーチ制作の支援を開始しました。
制作のための道具を用意し、制作のために必要な知識の講義を行い、 学生と共に高校生活の良い思い出にしようと毎年担当クラス全員で本気になって制作に取り組んでいます。
この取り組みは27年目の現在も継続しています。
(平成27年現在)

坂戸西高等学校の文化祭アーチ制作の様子(平成27年)
1992年(平成4年)
川角集会所建設、感謝状受賞
感謝状
1994年(平成6年)
毛呂山町学童保育所建設、川角駐在所建設、感謝状受賞
感謝状
2002年(平成14年)
長瀬駅前交番建設、感謝状受賞
感謝状
2008年(平成20年)
越生町観光センター建設、感謝状受賞
感謝状
2009年(平成21年)
弓田貴之が社長就任、社長であった弓田勝俊が会長就任
2011年(平成23年)
玉林寺公会堂建設、感謝状受賞
感謝状

回顧録 弓田 勝俊(会長)

弓田 勝俊

創業当初はとにかくがむしゃらに働きました。仕事に集中するあまり、 毎日夜中の3時まで時間を忘れて作業をした三鷹の青果市場での仕事を今でも鮮明に覚えています。
少しずつ仕事が軌道に乗り、結婚した後には、プロの職人育成にも尽力してきました。
会津から中学校を卒業したばかりの子を一人ずつ弟子として取り、5年間みっちり修行させ、今日までに15名を独立させてきたことは誇れることであると思います。
「しっかりとした技術を身につければ生き残れる」という思いで、彼らには質の高い仕事を覚えさせました。
建売住宅は一切やらずに注文住宅にこだわってきたのは、親元から預かっている見習いに、 厳しい顧客の目に晒されながら質の高い仕事を覚えてもらいたかったからでもあります。
職人は「プロ」でなければならず、住む人の気持ちに寄り添った家を建てなければなりません。
これは弊社のモットーである「真心のこもった家造り」に通ずるものであります。

昭和45年の年末に毛呂山に移ってきた当初は、右も左も分からず、とにかく地域にとけ込もうと必死でした。
上棟式のやり方も自身がやってきた福島のやり方と違っていたので、毛呂山で上棟式の現場が出れば、遠い場所でも車で出向いてそのやり方を観察に行ったり、 祝詞の口上が分からず、お酒を持って地元の大工さんに教わりに行ったりしたこともありました。今ではどちらもとても良い思い出です。

地元の大工さんとの親睦

平成23年の震災時には、町長から依頼を受け、福島県から避難してきた方々の支援活動も行いました。
着の身着のままで避難されてきた27名を「もろびとの館」に設置した避難所に受け入れ、何も持たずに避難してきた方々のために、様々な物資を集めました。
この時、地域の皆様の温かいご協力とご支援をいただき、日本人の、毛呂山の人々の素晴らしさを再認識したことは今でも忘れません。
その思いを胸に、現在でも社会福祉協議会やロータリークラブでの活動、安全協会の活動、川角八幡神社の責任役員など、 地域のためのボランティア活動を自身のライフワークとしております。

真面目に仕事をし、迅速に対応をしていれば、お客様は必ずそれを評価し、支持してくださいます。
24年前に下請けとして関わった川越のお客様が当時の仕事を覚えていてくれ、床を張り替えたいと電話をくださったり、 当社がプレゼントをした湯飲み茶碗を大切にとっておいてくれた狭山のお客様が、そこに書かれていた電話番号を見て内装工事の依頼電話をかけてくださったり、 出入りの職人さんや業者さんが、当社の技術や仕事に対する姿勢を評価して、自身の家を当社で建ててくれたりしたことは、 その証であり、この上ない喜びであり、幸せなことであります。
これからも1件1件の仕事、一人ひとりのお客様を大切にし、多くの皆様に愛される会社でありたいと願っております。

振り返れば、私ががむしゃらに仕事をやってこられたのは、男の子3人の子どもを育てながら住み込み6~8名を抱え、 弁当分と朝食分の米を毎朝2回炊飯して用意してくれた妻:乃里子の献身的な支えがあったからであり、 弓田工務店が約50年という長きにわたり続けてこられたのは、毛呂山の方々のご指導・ご鞭撻・ご愛顧、そして、 協力会社をはじめとする関係各位の支援があったからであります。
末筆ながら、ご指導・ご鞭撻・ご愛顧・ご支援を賜りました全ての皆様に、この場を借りて感謝申し上げます。

2014年11月吉日 株式会社弓田工務店 弓田 勝俊